すずしんろぐ

ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

自分に嘘はつきたくない

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嘘をついて生きている意味はあるのか?

僕は今中小企業のデザイナーとして働いていて、毎日納期の近いデザインと戦っている。中小企業なので、デザイン専門という訳にはいかず、営業に近しい事もやらなければいけない。営業では相手を気持ちよくさせなければいけないし、面白くない話でも笑わなければいけない。

 

最近思うのだが、これが俺の生きたかった人生なのかと問われたら甚だ疑問に感じる。

 

デザインも見ることは大好きで、自分のハートに響いたものは追っかけていきたいタイプなのだが、それは消費者として好きな訳であって、生産者として好きなわけではない。

 

3年間デザインに携わってきた訳だけれど、自分はデザインに不向きな性格をしていると思う。

 

人の目を気にする性格で、なかなか自己表現が出来ない性格だ。なので、デザインにもそれが表現されてしまって、上司の気に入るデザイン、クライアントの気に入るデザインを優先して実行してしまって、最終的に見るユーザーの気持ちを考えたデザインを反映できていないような気がする。

 

友人に誘われて入社したデザイン会社だけれど、もうそれもそろそろ限界を感じている。

 

30歳でこんな事言うのは子供だろ。と世間一般は言うのかもしれないけれど、一度しか無い人生で苦しんで生きる必要はあるのだろうか?

 

最近は自分の本当にやりたかったっことは何か?っていうのを常々考えている。

 

 

自分は物語を知り続けたい

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 自分が本当に好きなのは「物語」だ。

それはゲームのRPGでも良いし、小説でもアニメでも映画でもゲームでもドラマでも人から聞いた話でもなんでも良い。

 

それらには僕の知らない人達が、僕の知らない言葉で、僕の考えたこと無いような思考で、僕が感じたことないような感情表現で、生きている。

 

昔からそういうものに触れると、僕は幸せを感じる。

 

自分の世界が1つずつではあるけれど広がっていく感じだ。

見方が増えて、世界は面白いものなんだな。と思えてとても幸せに感じる。

 

世間では責任ばかりが追求されて、朝の通勤ラッシュでは街を歩いてる人達は険しそうな顔をして早歩きで会社に向かう。

 

仕事が終われば笑顔で家に帰る。

 

24時間幸せに生きることは出来ないのだろうか?

仕事は「苦痛」の対価として「給料」を貰わなければいけないんだろうか?

 

自分のために生きるのはエゴイズムとか無責任とは言えるけど、将来の幸せも保証されない時代になっている中で今さえも幸せになろうとするのは悪いことなんだろうか?

 

僕はそうは思わない。

 

もっと正直に生きて、大好きな物語を大量に浴びてそして幸せな中死にたいと思っている。

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