すずしんろぐ

ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

努力は何のためにするのか考えてみた

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最近「努力」というものについてよく考えています。

 

その中で努力の意味について自分なりに分かったので今日はそれについて書いていこうと思います。

 

 

 

努力する意味

努力の正式な意味は

努力(どりょく)とは、

目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。

 このように努力というのは目標の達成が基本的な意味です

 

普通に考えると努力というのは「苦痛に耐えて目的を達成すること」と見られることも多いかもしれないですけれど、最近努力について考えるのですがもっと突き詰めて考えてみたら、「苦痛に耐えること」=努力ではないな。と気づけました。

 

努力=苦痛に耐える事ではない

努力というのは自分の嫌なことを耐え抜いて

それを達成することというのが一般的に考えられてるイメージだと思います。

 

でも僕は思うんですけど、

自分のやりたくない事を延々と続けられる人なんて居るんでしょうか?

 

それって仮に達成することが出来たとしても意味あるんでしょうか?

 

人生は何のためにあるかというと、

僕は「幸せになるためにある」だと思うんですよね。

 

仮に来世みたいなものがあったとしても、

あなたという存在が今の時代で今の国・街に生きるのは1回きりだと思うんです。

 

こうやって淡々とした日常を生きているうちに、

もしかしたら明日死ぬかもしれません。

 

それが交通事故なのか、北朝鮮からのミサイルなのか、殺人なのかは分かりませんが、自分という存在が明日消えないという保証は無いわけです。

 

それなのに自分がやりたく無い事に耐えて

努力するっていう意味あるんでしょうか。

 

僕なんてたまたま日本に生まれて、関西に住んでるわけです。

もしかしたら戦争のある国に生まれて選択肢が無く、戦争に巻き込まれていつ死ぬか分からない状況になってたかも知れないわけです。

 

比べると悪いと思うんですけれど、戦争も無いし、やろうと思えば自由になれるのになろうとしないのは戦争のある国の人たちからしたら理解不能なレベルなんじゃないでしょうか?

 

生まれる場所、時代が変わっても変わらない2つのこと

国が違っても共通していることは

「いつか死ぬこと」

「何を考えるかは自由」だと思うんです。

 

貧乏人でも金持ちでも、低学歴でも高学歴でも、

生まれたのが日本だろうがイラクだろうが、いつかは絶対に死にます。

 

これは避けられないですよね。

 

でも、もう1つ変わらないのは「何を考えてもいい」という事だと思うんです。

 

もし家族全員が宗教にはまり込んでいて、

自分もその宗教に入信させられてても何を考えるかは自由ですし、

誰もあなたの頭の中を覗くことは出来ません。

 

つまりあなたが何を考えようが誰も止めることも出来ないし、

限りなく自由だということです。

 

努力は自分が幸せになるために使おう

 

人それぞれ不幸な環境はあると思うんです。

 

例えば家が貧乏だったり、

生まれたときから病気持ちだったり、

親の借金を肩代わりさせられたり。

 

僕も貧乏な家庭環境で、アトピーとも17年間の付き合いで苦しんだりしてます。

 

そんな環境でも幸せを目指すために生きるべきだと思うんです。

 

上に書いたように「何を考えるのも自由」だとすれば

「自分の幸せ」に向かって考えまくるべきだと思うんです。

 

そりゃそうですよね。

自分が不幸になるために頑張れる人間なんて居ないと思います。

 

自分の幸せばかり追求してたら、自己中心的な人間になりそうかとも思ったんですけど、でも僕が思うに自己中心的に生きていると結局人は離れていくので、

結局は自分のやりたい事を追求して

その中で人に何かを与えられると幸せになるのかなと思っています。

 

 努力=楽しいが理想

努力というのは楽しくないと続かないと思っています。

 

僕の人生を振り返った時に「人よりも得意だ」って言われるのは何なのかな?って考えた時に以下のものがありました。

 これらが得意だった訳で、多少人よりやり込んで得意だったものだったんですけど、

じゃあこれらが上手くなるまで苦痛だったのか?って聞かれると

 

NOなんですよね。

 

むしろ人から止められたり体壊すまで無茶苦茶やり込んでて、

そこには苦痛なんて文字は一切ありませんでした。

 

ここで思ったわけです。

 

努力=苦痛じゃないのでは?

 

自分が得意になったものって努力をしたはずなんですけど、

苦しくはなかったんですよね。

むしろ楽しくてずっと続けたくなるぐらい。

 

なのに結果は出ている。

 

あれ?努力ってもしかして自分の好きを伸ばす事?と思い当たったんです。

 

結果を出す為に「努力」が必要。

努力するためには「経験・継続」が必要。

経験・継続するためには「好きな事」がベスト。

だと気づいたんです。

 

しかも好きな事をベースに行動していると努力が努力と感じないんですよね。

 

例えばあなたが

「料理が得意」

「ボウリングが得意」

「サッカーが得意」

「絵が得意」

など色々と人よりは多少上手いものがあると思うんですけど。

 

それって嫌々やってたら上達したものですか?

むしろ好きで夢中になっている内に上手くなってませんでしたか?

 

人から「努力したねー!」って言われたとしても首をかしげるんじゃないんでしょうか。

 

「いや、私は楽しんでただけだから…」のように。

 

誰かに命じられた訳でも無くて、

自分のやりたい事に夢中になっている内に得意になっている。

 

自分の好きな事を伸ばす=良い努力

と、僕は最近思いました。

自分の好きな事をやっているから幸せにもなります。

 

結果を出してない=失敗=努力してないでは無いと思う

努力している内に失敗することもあって、色々な人から「結果が出てないのは努力してないからだ」と言う人が僕はあまり好きではありません。

 

例え失敗したとしても経験値としては残っているし、

何も無駄にはなってないと思うんです。

 

あなたの努力は確実にあなたを成長させているし、

頑張ったことは無駄にはなってません。

 

木のようなもので、毎日見ていると大きくなっているかどうかなんて分かりませんけど、数年ぶりに来たら大木になってたみたいなもので変化には気づけないものです。

 

仮にあなたがサラリーマンだったり絵描きだったり、はたまた別の職業だったりしても

その努力や経験談はいつか別の形で花開くものだと僕は信じています。

 

辛いだけの努力なら辞めてもいいと思う。

努力も全てが良いことだとは思えません。

努力してても辛いだけで楽しみも見いだせず半年間や1年間ずっとつらい気持ちが続いて、無理やり精神力奮い立たせてやってるならもう止めてしまっていいと思うんです。

 

例えばブラック企業に務めていてサービス残業を強要させられて嫌とも言えずに毎日嫌々残ってる割には何の成長も感じられないし、将来に希望を見いだせないなら努力を止める事も良いと思うんです。

 

逃げ=悪という精神論が共通の認識としてあると思いますけれど、僕は逃げは別に悪いものではないと思っています。

 

自分の精神や体を助けるための戦略的撤退だと思うんです。

 

ずっとその場に居て辛いだけの努力はもはや努力じゃないです。

拷問です。

 

人間誰でも幸せになる権利はあるし、考えることは自由だし、人生を自分の好きなもので埋めることは何ら悪いことじゃないです。

 

1週間後自分がこの世に居る保証も無いんだから、やりたい事は勇気を持って全部やるべきだと思うんです。

 

努力は幸せの為に使うべきで、その為には自分の好きな事をやり続けて、いつかそれが人の幸せの為に使えるぐらいの力を持つ。

 

僕はこれからそんな人生にしていきたいです。

 

まとめ

  • 努力=苦痛ではない。努力=楽しいが本当は正しい。
  • 明日には自分はこの世界に居ないかも知れない。だったら自分の好きを突き詰めたほうが良い
  • 辛いだけの努力は止めた方がいい。生まれてきたのは幸せになるため。

 

青竹でした。

ではでは。