すずしんろぐ

ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

「おばあちゃん」と言う名の「母」との別れ

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青竹(@aozora31101)です。

 

今週のお題が「私のおじいちゃん、おばあちゃん」という事なので書きます。

 

おばあちゃんは、僕にとっては母親同然の人でした。

 

1年半前おばあちゃんという名の「母」と別れた話を書きます。

かなり長い文章になります。

 

 

おばあちゃんと暮らした15年間

僕は小学校5年生ぐらいの頃に両親が離婚して

母子家庭になり、その頃から母方の祖母が

家で一緒に暮らすことになり僕ら4人兄弟の面倒を見てくれるようになりました。

 

僕は4人兄弟の末っ子で、

大好きなおばあちゃんと一緒に暮らせるのが本当に嬉しくて

家に住むことになったおばあちゃんに抱きついたのを覚えています。

 

最終的に10歳ぐらいから25歳ぐらいまで、

合計で15年間おばあちゃんとは一緒に暮らしました。

 

おばあちゃんは、元気の塊のようなパワフルな人で、

70歳を超えても一人で温泉に行ったりと、ものすごく活動的でいつも笑ってるような明るいおばあちゃんでした。

 

母は4人の子供を育てるお金を稼ぐために、外で働きっぱなしだった為、

祖母が代わりに食事や洗濯や掃除など身の回りのことを全てやってくれていました。

小学生の時はおばあちゃんと相撲を見て一緒に盛り上がる時間が僕はとても好きでした。

 

それからもずっと一緒に暮らし、僕が25歳の頃に事件が起きます。

 

突然の骨折

70歳を超えた男女が避けて通れないのが肉体の衰えだと思います。

特に骨の密度は20代~30代とは比べるともスカスカになってしまっていて、

軽く転倒しただけでも骨折をしてしまいます。

 

僕が25歳の頃

家に居たおばあちゃんがベランダで転倒してしまい、骨折をしてしまったのです。

 

骨折を治療するために病院に入院したのですが、

そこの病院が環境の悪い病院で、清潔感も無く、

廊下も暗く、トイレはカーテンで仕切られてるだけのような

あまりいい環境とは言えない病院でした。

 

劣悪な環境でしたが、骨折が完治する日も近かったので

我慢強かったおばあちゃんはその病院で入院し続ける事にしました。

 

骨折も回復し、

退院する頃に治ったかどうかをチェックするための

テストがあったそうです。

 

それは階段を登らせて、正常ならスムーズに登れるなら骨折は治ってるという訳のわからないテストだったのですが、80も超えたおばあちゃんですから、骨折が治ってると言っても体力はもう全然なくて休み休み登っていたそうです。

 

しかし医者や看護婦は「早く登って!」とおばあちゃんに急かすようにけしかけ、慌てたおばあちゃんは無理をして、階段を早く登りました。

 

これがきっかけになって、さらに骨が悪化することになりました。

今度は腰の骨を悪くしてしまい、ついには杖無しで生きていたおばあちゃんが杖が必需品になる生活になります。

 

人間の足というものは、筋肉の中で一番大きく、そこを使えるか使えないかで生活レベルは全く変わってしまいます。

 

足も腰も悪くしたおばあちゃんはそこから急降下するように体が衰えていき、ついには車椅子の生活を迎えることになります。

 

当然、そんな体で一人で家に居たら危険だということで、養護老人ホームで暮らすことになりました。

 

この養護老人ホームは先に書いた劣悪な病院とは比べれないぐらい、清潔感もあり、職員も優しく、ホテルのような明るさで、個室もとてもキレイで、食事も栄養を綿密に考えられて、レクリエーションなども頻繁に開催されていて、とても良い養護老人ホームでした。

 

おばあちゃんの居ない生活が始まり、僕はその間に友だちの紹介で付き合うことになった彼女が出来、おばあちゃんに紹介するために養護老人ホームに連れていきました。

 

おばあちゃんは笑顔で喜んでくれて、

「良かった、良かった。大事にしたりや!」と言いました。

 

それから1年も経たない内に彼女の妊娠が発覚し、僕は結婚して、生まれた子供と共におばあちゃんに会いに行きました。

 

小さい赤ん坊を見て

「2ヶ月でこんなに大きくなるんかー!すごいなー!良かった良かった!」と

何度も何度も笑顔で喜んでくれました。

最後にまともな会話が出来たのは、

この頃が最後で

それから徐々におばあちゃんの痴呆が始まっていきます。

 

僕のことを忘れてしまう、おばあちゃん。

それまでは80歳とは思えないパワフルさで元気に話していた、おばあちゃんでしたが、

足を骨折し、腰も悪くして歩けなくなり徐々に痴呆と思われる症状が出てきました。


僕がいつものように妻と息子を連れて行くと

「あぁ、○○!来てくれたんか、大学はどうしたんや?」

 

ん?おばあちゃん、何言ってるの…?

 

○○とは僕の親戚で、僕とは似てもいない10個も下の大学生の男の子の事です。

 

僕はショックでしたが、顔には出さず

「いや、違うよ、おばあちゃん。青竹だよ。○○じゃないよ。」

と何度も説明すると、理解してくれて

 

「あぁ青竹か!赤ちゃん大きくなったね!」と思い出してくれました。

 

その後、何度か会いに行っても、最初は自分のことを忘れていて

「青竹だよ」と説明して思い出してくれるという事の繰り返しでした。

 

最初にも書いたように、僕の兄弟は4人兄弟で僕を含めて全員結婚しており、子供が居ます。

 

親戚の孫の子も含めれば

2人の子供と5人の孫と8人のひ孫、あとはそれぞれの奥さん5人を会わせれば

合計で20人の一族が頻繁に老人ホームに会いに行ってたので、顔と名前が一致しなくて痴呆の始まったおばあちゃんは記憶するのも一苦労だったと思います。

 

それでも、それぞれの孫や、ひ孫の名前は覚えていたのですが

なぜか僕だけは毎回忘れられていました。

 

一緒に暮らした時間、居た時間は母を除けば、僕が15年間と一番長く暮らしたはずなのに、僕だけが忘れられることにとても深い悲しみを覚えました。

 

祖母とはいっても、一緒に暮らした時間から考えれば母親同然の存在でしたから。

 

容態の悪化と虫の知らせ

そんなある日、僕の長男からLINEのメッセージが届きました。

 

「おばあちゃんの容態が悪くないらしい、母は大丈夫と言っていたけど、覚悟はしておいた方が良いかもしれない」

 

年齢も90近く、痴呆も始まって、いつか亡くなってしまうと

どこかで覚悟はしていたのですが実際に来ると恐怖を感じてしまいました。

 

すぐ養護老人ホームによく行く母親に連絡すると

「容態は悪かったけど、もう大丈夫やで。回復して今はめっちゃ元気に話してるわ」

と返事がありホッとしました。

 

それでも心配だから次の週末でも会いに行こうかなと

会社に行く準備を整えながら考えていた、その瞬間。

 

全身の毛が逆立つような恐怖感というか、本能的に声が聞こえてきました。

 

「今日、会いに行け」

 

なんだかその声というか、感情みたいなものが僕の全身に満たされて、

全く頭から離れなくなりました。

 

曇天を見て、雨が降りそうだな。などの予感というレベルじゃありません。

 

絶対的な確信を持って

「今日、会いに行け」という感情が満ち溢れました。

 

こんな事は僕の人生で1回たりとも無かったのですが、

本能的に「この声には従うべきだ」と確信した僕は

急遽、会社に連絡を入れて半休をもらい、

妻と子供を連れて老人ホームに会いに車で飛ばしました。

 

老人ホームに着いて、おばあちゃんに会うと母の言ったとおりとても元気でした。

驚いたのは、それまで僕のことを忘れていたおばあちゃんが、僕のことを覚えていた事です。

 

いつものように孫を見て喜ぶおばあちゃん。

妻とも笑顔で話すおばあちゃん。

いつも以上に元気に見えました。

 

帰る時刻は近づいていましたが、

少し二人きりで話したかったので

妻と息子と母親は部屋を先に出ていきました。

 

おばあちゃんと部屋で2人きりになりました。

 

この瞬間、僕は分かってしまったのです。

 

「あぁ、おばあちゃんに会えるのは今日が最後なんだ」

 

理屈とか悲観的とか、そんな話じゃありません。

嘘みたいな話かと思うかもしれませんが、本当の話です。

 

本能的に分かってしまったんです。

 

おばあちゃんも同時に今日が僕と会えるのが最後の日と分かっていたようです。

 

僕はおばあちゃんに

「おばあちゃん、僕はおばあちゃんと一緒に居れて幸せだった。おばあちゃんの孫で良かった。妻と息子は絶対に幸せにするね」と涙を流しながら伝えました。

 

おばあちゃんも僕に

「良かった。青竹が結婚できて可愛い奥さんと子供が生まれて良かった。

本当に良かった。」と何度も何度も言いました。

 

彼女を初めて連れて行った日、子供を初めて連れて行った日と同じように

おばあちゃんは何度も「良かった」と涙を浮かべながら言ってくれました。

 

そろそろ老人ホームを出て会社に行く時間が近づいてきて、

部屋を出ていかなければいけない時間になりました。

 

僕は出て行きたくなかったのですが、そういう訳にもいかず

おばあちゃんに何度も何度も「ありがとう」と伝えました。

 

おばあちゃんも僕に何度も「ありがとう、本当に良かった」と伝えてくれました。

 

これが最後なんだ。

 

僕はそう思いながら閉まる扉のおばあちゃんを最後まで見届けて、

僕は妻と子供を家まで送った後に、会社に向かいました。

 

 別れ

同日、仕事も終わり、家に帰ってきて副業のアルバイトに向かいます。

 

僕はこの頃、平日のデザイナーと並行して、金曜日の深夜から土曜日の朝方まで

工場の清掃をしてお金を稼いでいました。

 

そのアルバイトの休憩中に母親からLINEのメッセージがありました。

「おばあちゃんが、つい先程亡くなりました。今から来てもどうしようもないから、

仕事をキッチリ終わらせてからおいで」

 

僕は頭が真っ白になりました。

 

何も理解出来ず、夢みたいな感覚で全く現実味がありません。

副業のアルバイトを出来るような状況じゃないのは当たり前で

母親は仕事を終わらせてからと言いましたが、社員に事情を話し途中で抜けました。

 

そのバイト先とおばあちゃんの居る老人ホームは自転車で20分ほどで

僕はその道を心臓が破れるぐらいのスピードで飛ばして向かいました。

「嘘だ」という言葉が何度も頭に響きましたが、

老人ホームに着き、部屋に入るとそこには12時間前に元気に話してたおばあちゃんが

静かに横たわっていました。

 

震える手で頬に触れると氷のような冷たさで

僕はここで初めて「死」を実感しました。

 

そこからは嗚咽をあげ、涙もとめどなく溢れ、絶望が押し寄せました。

何時間も外で泣き、おばあちゃんが亡くなったことが

ただただ、悲しくて泣きました。

 

12時間前は普通に話してた、おばあちゃんという名の母がもうこの世にはいません。

 

もう二度と永遠に笑顔を見ることも出来ないし、話すことも出来ない。

子供の顔も、妻の顔も見せれることが出来ない。

 

その事実が押し寄せて、涙が止まりませんでした。

 

家族も深夜ではありましたが、

それぞれ老人ホームに到着し悲しみました。

 

僕が生きた30年間で一番悲しい出来事です。

 

それでも今となっては僕はこう思います。

 

自分は考えられる限りで、一番良い形で

おばあちゃんと別れることが出来たんじゃないんだろうかと。

 

人が死ぬのはいつかは分かりません。

明日に自分も他人も生きている保証なんて絶対に無いわけです。

 

その中で、僕は「最後に話せる日」が分かり

同時におばあちゃんも「最後に話せる日」が分かり

 

全身全霊で感謝を伝えれることが出来ました。

それも最後の一日にです。

 

大切なおばあちゃんを亡くしてしまったのは、本当に辛くて

人生で一番悲しかったですが、とてもいい別れ方が出来たと思っています。

 

僕はおばあちゃんが大好きで、15年間でもらったものは数え切れないくらいあり

最高の「母」と暮らせたと心から言えます。

 

「良かった」というおばあちゃんの言葉

妻や子供を連れて行った日、そして最後にあった日。

 

おばあちゃんが何度も言っていた「良かった」という言葉

 

あれは僕が「(幸せになって)良かった」という言葉だったと思います。

4人兄弟の末っ子で、他の兄弟は結婚もして子供も居るのに

彼女も居なく独り身の僕を心配してくれていたんだと思います。

 

僕の将来や仕事も心配して何度も「仕事は大丈夫?」と

心配してくれていた優しいおばあちゃんだったからこそ、

出てきた言葉が「良かった」という言葉だったんだと思います。

 

自分の幸せをもう一度見つめ直そうとしている現在

僕は今、転職をしようとしています。

 

今はデザイナーで3年半と長い時間をやっていたのですが、

自分の心を見ている内に「ここじゃない」という言葉がずっと聞こえてきて、

それは日に日に大きくなってきています。

 

その言葉を無視して働いていましたが、もう自分に嘘をつくのも疲れました。

 

「ここじゃない」という言葉が、あのおばあちゃんを亡くした日に聞こえた

「今日会いに行け」という言葉の感覚と非常に似ています。

 

僕は今まで他人の正解を基準に生きていました。

 

他人が正解というものを1つずつ拾い取って生きてきて、

自分の中で正解を導く力を鍛えることも無く生きてきました。

 

もうそんな生き方は止め、間違ってもいいから自分が正しいと信じれる道を

勇気を持って歩くことにしました。

 

転職するにあたって、僕の年齢やスキルはとても厳しい条件です。

ただ、それでも僕はもうこれ以上自分には嘘はつけません。

 

今の生き方でもし明日死ぬとしたら僕は100%後悔します。

 

そんな生き方をしてたら、おばあちゃんは決して「良かった」とは言ってくれません。

 

だから自分の正しいと思う道を追求することになりました。

この道が正解なのか、不正解なのか正直今のところは分かりません。

 

恐怖もあるし、幸せになる保証もありません。

でも僕はこれ以上「違和感」を抱えたまま生きることは出来ません。

 

天国にいる、おばあちゃんを安心させるためにも

自分は幸せにならなければいけないというのが僕の今の生き方です。

 

自分も家族も心の底から笑うことが、おばあちゃんに向けての

僕の「良かった」というメッセージになればいいと思います。

 

皆さんに伝えたいこと

 

大切な人には大切な言葉をかけてあげてください。

 

大切な人との別れは突然来ます。

 

10代だろうが20代だろうが、明日この世にいる保証は無いです。

あなたの思い浮かべる大切な人が明日この世から居なくなり、

永遠に話すことは出来なくなります。

 

言葉を大切にして、

相手に対して感謝の言葉が最後の言葉になるようにしてください。

その方が絶対に後悔しないです。

 

 

 青竹(@aozora31101)でした。

ではでは。